Jung Gyungsik Solo Exhibition
2016.01.13 - 2016.01.25
Jung Gyungsik Solo Exhibition
The Meditation
会期:2016年01月13日(水) - 01月25日(月)
会場:1階
出展:チョン・ギョンシク
宇宙の血管を伝い流れる沈黙の言語
絵は自らその果てを見つめ歩んでいく。時間がつくりだした色と質感は調和をなして熟成していく。絵の中にはある欲望が日常を攻撃してくるように青に染まり。その青は時間が流れればモトのままではない、長い時間熟成されたもののように、いつしか風と雨と銀河となってしまう。画面の中で燃えたぎる地熱は宇宙と出会い、水蒸気へと変わり、その水蒸気が新たな空気をつくる。
絵のなかの風景は、精神が宇宙の血管と結びつき自由に繰り広げられるように、自ら全てのものを見せてくれる。そこには夜と昼、大地と海、精神と肉体、理想と現実との互いの境界がなくなる。時間が流れればこの異なる二つの世界がいつのまにか混ざっており、循環している。時に生は嵐のように躍動するが、少しずつきわめて少しずつ、夜が来て朝が来るようにいつの間にか絵は時間の力を借りてその全ての境界を消していき、新たにつくっていく。
二つの世界を生きるかのように、絵を描く時間は全ての境界を消し、その消された境界を行き交う。そのなかで一つの風景を見る。仔細に見入ればそのなかで水玉が落ちていく。幾重となく堆積した時間が、無心に過ぎていく風、透明な空がその風景の中に込められている。
瞑想シリーズはこうした風景をのぞき見たものである。窓の外に降りそそぐ雨粒がそうであり、テーブルにポツンと立っている小さな瓶がそうである。雨は意味もなく降っており、瓶はその場で誰かを待っているだけである。私は事物に近寄り風のように声をかけるだけ。垂直にまたは水平に流れる長いいくつもの点は空中を漂う風のなかや湖の上に落ちていく雨粒のイメージである。それらの多くの点は広い空間に広がっていく。時たま渦をつくりだす多くの点のなかで、事物は影のように見えるわからない形象を形づくりもする。こうした散らばりの空間は原始的である。人間は空間のなかに一つ一つの点として隠喩される。多くの点は時に中心を失い離れていく。多くの点は感性の記号化された風景である。時間が去った空間はまた異なる生成を暗示している。多くの白い点は霊魂をもつ自我の林となる。これは銀河のような宇宙の風景であり意味の響きである。これらの点は虚空に根を下ろし、大気の中で息づく。水の中をのぞき見る感覚。夕暮れの紺青色の闇が押し寄せてくるときの大気、無意識の一隅の感覚が画面に痕跡として表現される。
絵のなかの四角形は棚の上に置かれた小さな瓶を静かに見つめた形象である。それは一人でため息をついている。誰かの横顔にも似ていた。背を向けて座った遠くの山のように沈黙する瓶は人が知ることのできない彼だけの世界に沈んでいる。その輪郭は一つの表情となっている。息づきが変わる、そして花が咲き出すような自然で馴染みのある風景を移したように無心な形態の瓶らが四角形の大きさと形態を変奏し、リズムを与えようとした。空いていたり、いくつかの線だけが残り、本質に関し問いかける。これは事物自体と向かい合おうとする意図である。採集されたイメージは果てなき瞑想の空間のなかにおかれる。遠近のない直角のイメージは現実を越えた雰囲気を与え、それがつくられる以前の姿に近い器は存在感をあらわにする。
一つ一つの細胞が集まり一つの生命を成すように、瞑想シリーズは蔓のような思惟のイメージを考えた。意識のクモの糸、静寂が幾重に積もり積もった時間の長い糸、光がとどかない古くからの陰、光より長い生命を孕んでいる闇のイメージを…
私たちが経験するものらは頭脳に貯蔵され、私たちの思惟、その見ることのできないものと、語ることのできないものらは私たちの細胞のなかに蓄積される。それは私たちに何かを創造させる一つの元素となる。ある画家はその肉体をアトリエの外に捨ておいて作業をすると述べている。まるで、祈りをささげる人々が彼らの履物を寺院の外にぬいでおくようにである。このように絵を描く行為は、霊魂の中を泳ぐ魚のように自らへの陥没を意味している。私のなかにある世界を通して私を囲んでいる世界をもう一度つくりだす行為だからである。画家にとって絵は生の鏡でもあるため、結局自らを描くことになる。内部の闇から一つの世界が浮かび上がるとき、はじめて絵は描いた人のものであることから、見る人のものとなる。しかし、長いトンネルの終わりにある空のように、光は常に闇の果てにある。草は草として生き、木は木として生きるように、絵は一つの絵として自らの生を生きる。息をするように絵を描きたい。しかし私の目が見たものを私の手はどれほど感じているのか。見えない血管が結びついているように、体にあふれてくる感情の果てで線を描くとき、線と色とが生きはじめる。そうした熱情が私の一部となってほしいと思う。運命に向き合うように画板に向き合うこと、線を描き、間をおかず見れば生の海がその中にあることを。
画家チョン・ギョンシク(鄭慶息)は韓国中央大学校で韓国画を専攻した後、韓国教員大学校大学院において美術教育博士課程修了。ソウルとニューヨークとで五回の個人展と多数の団体展を開き、現在ソウルで学生たちに絵を教えながら創作活動をしている。
チョン・ギョンシク Jung Gyoungsik
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1990年
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1997年
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2011年
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2015年
<個展>
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1996年
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1999年
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2000年
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2013年
The Atelierギャラリー(ニューヨーク)
ムルナムギャラリー(ソウル)
<グループ展>
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1989年
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1993年
韓国画大展(光州文芸会館)
大韓民国美術大展(国立現代美術館)
ソウル韓国画ビエンナーレ(ソウル市立美術館)
中院展(寬勳ギャラリー)
今日の絵画 24人の声(ヘレンギャラリー)
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1994年
中院展(寬勳ギャラリー)
具象展(芸術の殿堂)
韓国画大展(光州市立美術館)
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1995年
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1998年
新春韓国画招待展(公平アートセンター)
中院展(サンギャラリー)
試演画展(ソギョンギャラリー)
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1999年
牛馬展(鍾路ギャラリー)
差異のなかの同質(寬勳ギャラリー)
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2000年
東亜美術祭(国立現代美術館)
インターネットアートフェア(ソウル市立美術館)
国際扇面展(東京都美術館)
ニューミレニアム324展(ソウル市立美術館)
芸友展(公平アートセンター)
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2002年
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2003年
今日の韓国美術展(ナギャラリー)
ソウル教員美術展(ロッテギャラリー)
東洋画ニューミレニアム展(公平アートセンター)
模索展(公平アートセンター)
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2007年
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2013年
現代美学探究展(韓国国立教員大学校)
模索展(The-Kギャラリー)